周りの期待に応えるということ②

家族
 
前回の記事はこちら↓
 
 
 
 
 
つづきです。
 
 
 
さて、そういった経緯で僕の見えない周囲の「期待」との闘いは始まっていたのです。
 
 
これは、その後もずっと続きました。
 
 
 
中学生の頃になると、この「期待」がとても鬱陶しくなります。
いわゆる思春期のときです。
 
この期待に反抗したくて、色んなことをしたり、授業をボイコットし勉強することを拒否したりした時期もありました。
 
 
それ自体は一時期であり、すぐに立ち直ったのですが、その後の高校受験の際、僕は「勉強で期待に応えるのは嫌だ」と思い、自由な校風の高校を選択し、受験しました。
 
当時の自分の学力からは、かなり安全圏の高校を選んだために、中学校の担任、塾の先生、周りの友達から反対されることもありました。
(家族は唯一、「自分で決めたのだから、そこで良いじゃない!」と言ってくれました。)
 
 
 
「自分で決めたのに、、、」
 
当時の僕にとっては、周りの反応が非常に鬱陶しかったことを覚えています。
 
 
 
ちなみに入った高校は、かけがえのない友人と出会い、学校生活もこれ以上楽しいことはないほどの、最高の3年間を送ることができました。
なので、結果的に高校選びは大成功でした^^
 
 
 
 
 

またもや期待に囚われる自分

 
しかし、幼少期から自分を縛っている見えない「期待」から、僕は逃れることができません。
 
 
とあることがきっかけで僕は高校2年の冬から看護師を志すのですが、高校受験のときの周りの反応が、なぜか頭から離れません。
 
 
そして、志望大学に選んだのが、某国立大学でした。
 
「とにかくあんな思いはしたくない」
 
という、高校生活に何の不満もなかったはずなのに込み上げてきた思いで、全然当時の学力では厳しい大学を選びました。
 
 
 
 
 
一心不乱に目指し、結果は合格。
 
 
 
何だかホッとする自分がいました。
 
 
 

この「期待」の正体って何だろう?

 
 
大学に入って2年ほどは、本当に適当にキャンパスライフを送っていました。
 
「期待に応えた」良い大学に入れた解放感からか、適当に飲んで徹夜して、授業にも行かない、、、
そんな過ごし方でした。
 
 
 
しかしある日友人に、とある勉強会に誘われ参加してみると、
そこには自分が今まで気づかなかっただけですが、自分よりも遥かに努力して高みを目指す、とても聡明な同級生や先輩方の集団が存在していたのです。
 
 
「じ、自分って、何て実の無い大学生活を送っているんだろう…。このままでは、、ダメだ!!」
 
と動機付けされ、そこからは卒業までに、看護の勉強も実習も、必死に取り組んでいきました。
 
 
 
 
ちょうどこの時期、僕は悩み考え続けます。
 
 
「この今までの自分の人生を動かしてきた「期待?」の正体は何だ、!?」と。
 
 
 
 
そして、答えが出ます。
 
この期待って、人からのイメージなんかでは無くて、自分の中で作り出されている「プライド」(誇り、自尊心)だったんだ、、!と。
 
 
 
 
 
僕は、幼少期からの体験の中で、プライドを高く持つようになっていて、それによって自分を成長させたり、自分を苦しめたりしていたようです。
 
 
 
 
周りの期待に応えるということ③   へつづく…